胸を噛まれる

夢をみた。

子犬は自由に家の中を動き回っている。

サイの子どもは、首輪と鎖をつけ、手足を縛られて、身動きできないくらい狭い檻の中に閉じ込められている。

サイの子どもを檻からだし、手足を縛っていた紐を解く。

檻から出たサイの子どもは、首輪についている鎖を勢いよく引っぱる。

引きずられそうになった私は必死で鎖を引く。

サイの子どもは私の衣服に噛みついてくる。振り払うと、胸元の衣服に噛みついたまま離さない。

そばにいた娘に何とかしてくれと頼むと、娘は深皿にアーモンドを入れてサイの子どもに与えた。

サイの子どもは私の胸元から離れ、アーモンドを食べ始めた。

 

夢から覚めてからも、胸元の衣服に噛みつかれていた感覚はしっかり残っていた。

 

胸を噛むとか胸を噛まれるような、という表現がある。

自分がしたことへの深い悔いはいくつかある。

 

40年ぐらい前のことで、息子が少年野球をしていた頃の話。

彼は何年たっても補欠だった。叱られるとすぐに涙ぐむようなこどもだったので、息子は練習がつらいだろうと勝手に推測し、彼が足首をねん挫したしたのを理由に野球部を辞めさせた。

息子から辞めたいと言ったのではなく、わたしが、この際辞めたらどうかと勧め、彼も同意した。

その時は、息子の気持ちを楽にしてやったと思っていた。後で、実はわたし自身が、野球部の親たちとの付き合いが嫌になっていたのだと気が付いた。

 

これも30年以上前の話だが、娘が高校に入れず、ぶらぶらしていた時期があった。

通信教育も定時制高校もフリースクールも厭だと言った。

近所の美容院に見習いで入ったが、娘の足音がうるさいからという理由で、すぐにクビになった。パン屋や喫茶店のバイトも長続きしなかった。

新聞広告で、縫製工場の求人広告を見つけた。娘は気乗りがしないと言ったが、無理に行かせた。

ある日、出かけるためにバス乗り場に行くと、娘が肩を落としてベンチに座り込んでいた。それでも私は、仕事に行きなさいと強く言った。

数日後、職場の人が、クルマで娘を送り届けてくれた。職場で倒れたということだった。

「縫物は嫌いだし、おばさんばっかでつまらない」と娘は言った。

それ以後、娘の進路については何も言わないことにした。

 

80歳になった今、夢でサイの子に胸を噛まれた。