真夜中の手当
目が覚めたら、右目に異常を感じた。
まつ毛やゴミなどが入った時のような、ざらついた感じがする。
応急手当として、両手をこすり合わせ、暖まった手のひらを両目に当てる。
何度もくりかえしたが、楽にならない。
そっと目を開けると視力には異常がない。
静かに起き上がり、電気ケトルでお湯を沸かし、番茶をたてる。
塩をひとつまみ入れた熱い塩番茶を用意して、カット綿をひたす。
時刻は、午前2時5分。まだ、深夜だ。
寝床に戻り、塩番茶にひたしたカット綿を両目に当てる。
じんわりと暖かくて気持ちがいい。
お茶が冷めるまで、30分ほど手当をした。
ざらついていた右目が少しは楽になっている。
ラジオで深夜放送を聞きながら、最近、目に負担をかけていた原因は何かと考えた。
パソコンの前に座り続け、ユーチューブやドラマを観続けている。
花粉症もある。
コロナも収束しつつあるので、生活を改めよう。
今日は、もう一度海辺の街に行き、サービス付き高齢者住宅を内覧する予定だ。
先日内覧した折には、夫が、「もう引っ越しなど、変化には耐えられない」と言ったので彼の気持ちに添うようにしたいと思った。
しかし、三度目の心臓の手術を受けるという夫の気持ちを知り、怒りがわいてきた。
変化に耐えられないと言いながら、命を懸けるような手術は受けるのである。
介護者が気晴らしをしなければ、介護生活は長続きしない。
彼が手術を受け、20日ほど入院している間に引っ越しするという案が浮かんできた。
読み違いかもしれないが、夫の潜在意識は、私が新しい生活に入ることを阻止したがっているのでは?
先日、内覧に行った時、夫は、「ここは飲食店が並んでるし、若い人も多くて活気があるね」と言った。
ほとんど見えない、聞こえない、車椅子でしか移動できない自分に比べて、妻はまだ自由を味わえるかもしれない。
悔しさや嫉妬心があるのかもしれない。
本人は気づいていないのだろうが、弱者による支配ではないか?
独身の頃は、お金もないのに何回も引っ越しした。
気軽で、体重も今より10キロ軽かった。