倍音

孫娘は、小学5年生から中学、高校と吹奏楽ひとすじだった。

ゆうべ、彼女と、私の耳の話をした。

私「デビュー当時から好きだった人の声が耳障りになってきたのよね」

孫娘「なんで?」

私「多分、耳が遠くなって倍音が聞き取れなくなって、彼の微妙な声の良さが味わえなくなったんだと思う」

孫娘「休止符の部分でも、かすかに残響がある複雑な声だよね、その歌手は」

 

ひと味違うと思わせる声は、言葉が明瞭だということのほかに、その人特有の身体的な含みがある。

受け取る側の好き嫌いは、その微妙であいまいな部分で決まるような気がする。

 

友人だった編集者が、「若い頃、小説家は体力と言われて、あきらめた」と言っていた。

編集の仕事もかなり体力が必要ではないかと思うが、プロの小説家はとんでもないエネルギーの持ち主なのだろうか?

 

昔、アルバイトでドラマの原案を書いていた。

放映されるまでには、シナリオライターが細部を埋め、撮影しながら直しを繰り返す。

昼夜を問わず、何時間でも、撮影現場に立ち会って、セリフを書きなおし続ける人がいる。

 

普通の暮らしでも、痒い所に手が届くような細部を詰めてゆく作業はとても難しい。