豊作体験と不全感

深夜放送を聞いていて、「あの頃は国内外の音楽が豊作だったな」と感じた。

30代、夫の転勤先での10年間は、私にとっても豊作の時期だった。

家のすぐそばに子供連れでも登れる山があり、海にも自転車で行くことができた。

幼稚園から小学校へと元気に育ってくれた二人の子ども、働き盛りの健康な夫。

自分も、消費者団体に参加して、公園で有機栽培の野菜を売ったり、合成洗剤ではなく石鹸を使おうと、チラシを撒き、スライドや8ミリ映画、機関誌も作った。

 

安保闘争で挫折して草の根運動に転換した若者たちと、子どもたちの健康のために環境を守ろうという母親たちが組んで、必死で運動を展開した。

アレルギー体質で肌と喉が弱い私は、当事者として真剣に参加していた。

 

11年目にまた夫が転勤になり関東に戻った。

思春期になった子どもたちが荒れ始めて、私の関心は内面に向かった。

心理や身体の仕組みや働きを学習してきたが、どこかに、「突き抜けていない」という不全感がある。

豊作体験があるために、地道な暮らしが楽しめないのかもしれない。